アクアコミュニケーターの知恵
水辺を旅するはなし | Story Explore the waterfront
その名水は本当に名水か
「このおそばおいしいですね」
「そりゃそうさ、このあたりは水が違うからね。自慢の名水でつくった名水そばだよ」
「この豆腐おいしいですね」
「そりゃそうさ、このあたりは水が違うからね。自慢の名水でつくった名水豆腐だよ」
水のきれいな土地でこんな会話をよく聞くようになった。
名水ビジネス花盛りだ。
群馬県の箱島湧水の近辺では、箱島湧水でいれた名水コーヒー、名水うどん、名水そば、名水みそ。
最近は、特約製造の限定品として、村内の商店だけで販売している清酒「不動の霊水」もできた。
でも、名水ってなんだろうかと思う。
15年ほど前、名水で有名な東北地方のとある村に行った時のこと。
さすような日ざしのなかを3時間近く歩いていると、いきなり目の前に旗竿。
赤地に白ぬきで「名水ラーメン」とデカデカと書かれた旗竿が風にひらひらひら~となびいていた。
当時の私は「名水○○」に目がなかった。
名水豆腐も名水ビールも手当たり次第に食らいついた。
「おっ! 名水ラーメン! うまそ。このあたりは水が違うからな!」
ダッシュで店に入ると、カウンターからいちばんよく見える壁に、
「当店の水はすべて○○の名水を使用しております」
との貼り紙が。
「名水ラーメン1つ」と頼むと、愛想のいいオヤジさんが「あいよ」といいながらコップに入った水をカウンターにコンとおく。
キンキンに冷えた水はさすがにうまい。
カラカラに渇いた喉を冷たい水がスルリとすべっていく。
「うまい水ですね。これも地元の名水?」
「まあね」
オヤジさんはニコヤカに笑っている。
名水ラーメンは醤油味。
鶏だしの効いた昔ながらの素朴な味わい。
「やっぱり料理は水なんですかね?」
と話し掛けると、オヤジさんはまたしてもヘッヘと笑う。
「こだわりの店にはガンコオヤジが多いのに、ずいぶん腰の低い人もいるんだな」
調子にのった僕は帰り際に「おみやげ」と称して水筒に名水をわけてもらった。
それから2時間ほど山道を歩き、喉が渇いたのでさっきの名水を飲んだ。
水は少しぬるくなっていた。
「ん? 味が違う。あれ? うっすらと塩素の臭いがしないか?」
オヤジさんのくれた水は水道水だった。
「名水」と書かれた旗竿や貼り紙を鵜呑みにして、水道水を飲んで「うまい」を連発したことを思い出し、山歩きで疲れた体が鉄の玉を縛り付けられたように重くなった。
恥ずかしすぎる。
弁解させてもらえば、人間の舌は14度以下に冷えたものについては、味を感じにくくなる。
水の味を判定しようと思ったら水温18度くらいまで上げなくてはならない。
名水ラーメンで出してくれた水は、キンキンに冷えていた。
もともと水のきれいな土地なので、水道水は最低限度の消毒しかしていないだろう。
だから塩素の味がほとんど感じられなかったのだが、そんな水でも温まってくると、本当の姿が見えてくる。
僕は2つのことに気づいた。
水源がよくて、塩素消毒も少なければ、水道水はうまいということ。
水道水だからまずいというのは思い込みだ。
もう1つは、名水は人がつくるということ。
だいたい日本全国にある「名水100選」だって、「おいしい水100選」ではない。
選定の基準は、古くから地域住民の生活に溶け込み、住民の手によって保全活動がされていること。
規模や故事来歴、希少性、特異性、著名度などで、なかには飲めない水も含まれている。
「名水=おいしい水」
というわけじゃない。
「名水って言ったもの勝ちの世界だな」
暗くなりかけた山道を降りながらそんなことを考えた。